開墾のはじめは豚とひとつ鍋。帯広開拓の祖、依田勉三がオベリベリの地でその信念を詠んだ。今、十勝人の食文化は豚である!

帯広に生まれたからこそ、本物の豚丼を伝えたい

矢野整

ホームページをご覧くださり、誠にありがとうございます。帯広はげ天グループ「豚丼のぶたはげ」の矢野整です。

豚丼誕生初期から仲間数人と豚丼を普及させたひとりが、私の祖父にあたる初代「帯広はげ天」矢野省六。祖父は試行錯誤を重ね、豚丼のぶたはげの味の源となる「豚丼のたれ」を作り上げました。もちろん私の父も祖父の跡を継ぎ、2代目となり、その豚丼のたれの味を受け継ぎました。

このような祖父や父のいる環境の下、小さな頃から食とは切っても切れないような生活。しかし私は料理には全く興味がなく、大学を卒業したら普通に就職活動をしようと考えた時期もありました。

でもやはり、料理人の子供として生まれた血なのでしょうか。当時70年続き老舗として認識され始めた「帯広はげ天」を継ぐことを使命に感じるようになりました。

そして、様々な料理店での修行を重ね、数年後に帰帯
味にこだわりを持つようになってきた今度は、帯広人として生まれた血が騒ぎ出したのです。

「帯広に生まれたからこそ、本物の豚丼を伝えたい」

確かに豚丼を普及させたひとりは祖父であり、その伝統を守り抜いたのが父でした。だから私も...というわけではなく、純粋に一帯広人として、料理人として、シンプルな中に深い味わいをもたらす豚丼の魅力にとりつかれてしまったのです。

それから私は豚丼のルーツについて、もちろん祖父からも父からも語り継がれてはいましたが、自分なりに、その時代を生きてきた今では希少な方々に出向きお話を伺ったり、色々な書籍を読んだりして調べるようになりました。自分から知ることにより、発祥した時代がより身近に感じることができ、豚丼を伝える言葉や味にも自信を持てると思ったからです。

店内

このような豚丼専門店を開店するにあたり、色々な意見もいただきました。「帯広はげ天」で豚丼を出しているだけで、十分だろうというようなお話もありました。

でも私は、やはり本物の味は専門店でしか出せないという思いから、「帯広はげ天」から70余年受け継がれた伝統の豚丼のたれの味も、守るべきところ・良いところはそのまま生かし、現代の多くの人の舌に合わせた「豚丼のぶたはげ秘伝の味」へと進化させ、豚丼専門店である「豚丼のぶたはげ」を開店いたしました。

ぜひ、専門店ならではのこだわり抜いた肉の旨さと、それを引き立てる甘さをひかえた秘伝のタレとの絶妙なバランスを味わってください。豚丼に対する思いが、味で全てご理解いただけると確信しております。

豚丼のぶたはげ 代表取締役 矢野整

「帯広名物豚丼」の由来

写真:依田勉三の像

豚丼は帯広の食文化そのもの...。豚丼と帯広の縁は古く、開拓時代までさかのぼります。

明治十六年、静岡県松崎市より帯広開拓のため、依田勉三率いる晩成社が豚四頭を連れてオベリベリ(当時の下帯広のちの帯広)に入植したのが始まりといわれ、開墾とともに農業の路を歩みだしました。当時オベリベリでは、「牛は牛乳、馬は馬力、豚は食料」と区別され、牛肉を食する習慣を得なかった帯広は、豚を食する土地柄になったといいます。

半世紀後の昭和初期、豚肉はもちろん醤油や砂糖も大変貴重な時代、当時の洋食料理人数人がうなぎの蒲焼きをイメージし、試行錯誤の末に完成させたのが、豚丼という食べ物が世にでた始まりと伝えられます。

それから数十年。帯広に暮らす人々の変わらぬ開拓精神とともに帯広に根づいてきた食べ物、それが帯広名物・豚丼なのです。


網焼豚丼専門店 豚丼のぶたはげについて

帯広本店

北海道帯広市西2条南12丁目9 JR帯広駅
エスタ帯広西館
電話:0155-24-9822

札幌北広島店

北広島市大曲幸町3丁目7-6
三井アウトレットパーク札幌北広島
クローバーダイニング内
電話:011-377-2989

道の駅おとふけ店

北海道河東郡音更町なつぞら2番地
道の駅おとふけ なつぞらのふる里内
電話:0155-67-0585

店舗では、お食事のほかにお時間にあわせてあつあつのテイクアウトも承っております。お電話でご予約いただけます。


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